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仏教の寺

大乘寺(ガ-105)

山北面田頭里にある四佛山の中腹に位置し、韓国仏教史に数多い高僧大德を輩出した輝かしい歴史を持つお寺として新羅真平王9年(587年)、亡名比丘により開山された。四佛山の中腹にある巨大な岩の上には四面が仏象に彫刻された2.5~3.5mの長方柱石が立てられているが、摩滅が酷くやっと輪郭だけが残されている。三国遺事では真平王の時に赤い布に包まれた四佛岩が天から降りてきたと記されており、真平王がここまで幸行されて儀式を行い王命として大乗寺を創建させるようにしたと記録されている。1956年に焼失した殿閣を復元して史跡碑を建立した。
現在は庵が3戸、庵があった土地が6ヶ所残されており、文化財としては宝物2点と地方有形文化財1点その他、仏教遺物約60点がある。

  • 住所

    聞慶市山北面デスンサギル283(田頭里8)

  • 宝物

    聞慶大乘寺木刻阿彌陀如來說法像、木刻阿彌陀如來說法像及び関係文書、大乘寺金銅觀音菩薩坐像、聞慶大乘寺金銅阿彌陀如來坐像及び腹藏遺物

  • 有形文化財

    大乘寺磨崖如來坐像、大乘寺潤筆菴木造阿彌陀如來坐像及び紙龕、聞慶大乘寺四面石佛、聞慶大乘寺露柱石、聞慶大乘寺妙寂庵懶翁和尙影幀

鳳巖寺(ガ-106)

加恩邑院北理の曦陽山の麓にある鳳巖寺は新羅憲康王5年(879年)に智證大師により創建された古寺である。創建以降は智證国師の子孫たちが国師の後を継いで復元しており、雄大で芸術の極致に達する建物が並ぶようになったのだが、残念ながら焼失され、その後は高麗の太祖18年(935)に靜眞国師が鳳巖寺にて駐錫するようになり補修を通し元の姿を取り戻してから殺到する禅僧たちを教えていた。後には九山禅門の一つである曦陽山門として全盛期には約3、000人の僧侶が道を修めた位、大きい寺院なっていたと伝わり、今日にも多くの僧侶が禅に専念している参禅道場の場である。
曦陽山一帯は景観が美しくまた孤雲崔致遠の遺物があちこちで見られる。そして当時の曦陽山門は唐からもその実力や能力が認められ、禅に関する知識の教団として高く評価されていたようである。仏教に関する学びの場として訪問客の出入りが制限され、灌仏会のみ訪問が可能。(旧暦4月8日)

  • 住所

    聞慶市加恩邑ウォンブクギル313(院北理485)

  • 国宝

    聞慶鳳巖寺智證大師塔碑

  • 宝物

    聞慶鳳巖寺智證大師塔、聞慶鳳巖寺三層石塔、聞慶鳳巖寺靜眞大師塔、聞慶鳳巖寺靜眞大師塔碑、聞慶鳳巖寺極樂殿、 聞慶鳳巖寺木造阿彌陀如來坐像及び腹藏遺物

  • 有形文化財

    鳳巖寺磨崖菩薩坐像

金龍寺(ガ-107)

開山祖師である運達祖師により創建された後、李氏朝鮮時代の仁祖2年に修行・供養で名高かった慧聰禪師が弟子たちと力を合わせて現在の大きい規模の金龍寺を建てた。その後、焼失されたが、義允、無盡、太休の3人の大師により復元され、繁栄の時には48棟に建坪が1、188坪もあったが、現在は約30戸の殿閣が残されている。
険しい姿をしている四天王の神將像が訪問客を圧倒しており、大雄殿をはじめ古色蒼然とした殿閣が繁盛していた昔を語っている。その中でも慶興講院は韓国内、最大規模の講院の一つで300人を同時に収容できるオンドルの部屋であり、庫裏の窯は小柄の人が歩いて出入りできる程大きい。
仁祖27年、雪岑大師により造られた大雄殿にある仏像は雄大で玄妙であり、またソンギュン大師が造った後仏幀畵も有名である。高宗26年に四證大師により造られた巨大な掛佛幀畵や死者の前・現世がまるで記録映画のように映ると伝わる鏡など、数多くの文化遺産を所蔵している。またお寺の裏に石塔と石像を建てたのは蟬翼を押さえて山の精気を保護するためだと言われる。金龍寺の独特なことは水の色が乳白色のようであることだが、これはお寺の位置が風水地理学上に臥牛形局であることからだという。

  • 住所

    聞慶市山北面キ厶ヨンギル372(金龍里410)

  • 宝物

    聞慶金龍寺靈山會掛佛圖、聞慶金龍寺銅鐘

  • 有形文化財

    金龍寺冥府殿木造地藏三尊像及び諸像、聞慶金龍寺養眞庵木造觀世音菩薩坐像及び腹藏遺物一括、聞慶金龍寺大雄殿、金龍寺掛佛

惠國寺(ガ-108)

新羅文聖王8年に普照國師である體澄により主屹山の中腹に創建された。当初には法興寺と名付けたが、高麗末の恭愍王が紅巾の乱から避け法興寺へ行在された際に国恩を受けたとして惠國寺に改称された。
小規模寺院であり事蹟記がないため途中の事蹟は全く不明であるが、高宗10年にソンジャン禅師とジソン禅師により補修され1977年に金剛門を建立し、同年に大雄殿と萬德殿の丹靑佛事を行った。1989年にソンチョン大師が補修を終え廻向式を行った。

  • 住所

    聞慶市聞慶邑セジェロ1052─220(上草里13)

圓寂寺(ガ-109)

靑華山頂上近くに位置する圓寂寺は新羅武烈王7年に元曉大師により建立されたと伝わるが、事蹟記がないためその後のことは知られていない。高宗40年に石橋大使が重創した。その後、1987年にソアム大使が重創をして巨大な岩石で石垣を築き、敷地を広げて大きなバンチェ、ヨサ、ジョシルチェなど3棟を新築して姿を一新した。丹靑佛事も華やかにし地形に似合った道人の居住地として荘厳なる情趣をもたらす。また洞祠には海東初祖である元曉祖師の影幀が奉安されている。 to the buildings, thus giving the temple a magnificent ambiance. In addition, the shrine has preserved the portraits of monks, such as Haedong, Chojo, and Wonhyo.
造成年代は2〜300年前と推測されており、目鼻立ちが古格で服飾は朝鮮時代風である。元曉大師の影幀は一切伝わることかなかったが、唯一圓寂寺にて所蔵されており、学術的な価値が高く評価される。華山里には圓寂寺への道に浮屠1基が奉安されているが、粒子があらい花崗岩になっていて風化が激しいため刻字の判読が不可能である。飛鶴昇天穴の気性で頓悟できる修行処として広く知られている。

  • 住所

    聞慶市籠巖面ウボクドンギル220─136(內西里山1)