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茅山窟旗歲拜

茅山窟旗歲拜

  • 歴史

    壬辰倭亂の際に多くの人々が茅山窟に避難していた。
    茅山窟の中には水が随分あったので避難するには適合であった。当分は問題なく過ごしていたが、日が経つにつれて湿っていったので服を洗濯しないといけなかった。避難民は日当たりのある窟外に洗濯物を干してあったが、これを発見した日本の兵士が毒のある木を燃やして窟の中に
    入れ、避難していた人達は皆、窒息死した。茅山窟を観察してみるとこの洞窟は風が外に出なく中の方に吸い込まれるので自然と煙が洞窟の中に入っていく。
    その後、茅山窟には幽霊が出るといわれ出入りを禁止した。しかし村に妙なことがよく起きるようになる。巫堂に聞くと例の事件によって変なことが起きるので彼らの魂を慰めてやったら落ち着くという風にいわれた。それで何人かが議論し毎年の正月16日に慰靈祭を挙げることになったが、その以降は何もなく平和に暮すことができた。
    最初は城の下にある村のみで慰靈祭を行っていたが、この噂が広がり他の村も参加することになった。それでこの付近では'旗歲拜をする'というと多くの村民が農楽隊をつれて駆け付けたが、多い時は20個以上の村が参加していたという。
    この茅山窟祭は日本植民地時代に入ってから中止されたが、1993年から再び行われるようになった。

  • 住所
    • 聞慶市加恩邑城底里